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Story | 【公式】オーベルジュメソン|滋賀・何もしない贅沢を味わう籠れる宿 - Part 4

Story

滞在中の楽しみ方を、
周辺のスポットや季節のトピックを
交えてご紹介しています。

ええかげん論

2023.07.21

「コロナ、政治、気候…不安は尽きねどもまずは日常を整える。その智恵がここに。正解は、いつも同じではない。けれど、自分のコンディションを整え、「今・ここ」を感じていれば、おのずと「ある一点」がわかるようになる。料理から、そして保守や仏教の思想から、それぞれに「ええかげん」を探求してきた二人による、自立して豊かに生きるための「ええかげん」論。」

(ミシマ社「本の詳細」より)


料理評論家の土井善晴さんと、思想家の中島岳志さんによる対談形式の本です。

テレビに出演されていた時の、朗らかな笑顔と関西弁が印象的だった、土井善晴さん。

どんなことを考えながらお料理をされるのだろうということが気になって手に取ってみました。

 

本の中で目に留まったのは、こんな言葉でした。

「料理する人は、日頃忙しい、学校や会社に行ってはる人たちに、「春になったよ」って知らせてあげられるということですね。」

 

私はメソンの中で「料理をする人」ではないけれど、「新しい季節の訪れを感じてもらう」ということは、

お客様に対するおもてなしの一つなのではないかなと思いました。

それは、都会にあるホテルよりも、田舎にあるオーベルジュの方がきっと得意な分野だと思います。

 

例えば今、メソン周辺をお散歩していると、だんだん日が長くなっていく中で、カエルの大合唱が鳴り響き、梅雨がそろそろ終わるのかなー?と思わせてくれます。

私たちが日常で感じている季節を、お客様にも感じていただくには、どんな事が出来るのか、そんな想いを大切にしながら、暑い夏を迎えたいと思います。

 

(今回の写真は季節感が出るよう、屋外で撮ってみました。

私は写真を撮ることが好きなので、まずは写真から、皆さんに季節を感じてもらえたら、と思います。)

はじめまして

2023.06.22

この度オーベルジュメソンの今年5月から、料理長に就任いたしました石塚卓郎です。
私の故郷でもある比良山麓のこの地で、新たに料理を作る事となりました。

私は調理師学校を卒業後、京都では京野菜を中心に和とイタリアンを融合したお料理、名古屋では400年の歴史のある料亭の建物を活かして東海地方の代表的な食材の松坂牛・飛騨牛や伊勢湾の新鮮な海鮮を用いたモダンイタリアン、福岡では海の見えるリゾートホテルで地中海料理またはメキシカンなど、15年に渡り様々な経験を積んで参りました

地元を離れて仕事してきた間、日本各地の農家さん、生産者様の下に足を運ぶ機会が多くありました。
それぞれ地域の素晴らしい食材を見つけることを続けてきた中で、この経験を生まれ育った滋賀の地で生かし、表現してみたいと強く思うようになっていきます。そしてオーベルジュメソンと出会います。

比良山脈からなる自然の偉大さやその恵みによって生まれる食材、琵琶湖の豊富なミネラルによって旨みを増した川魚、昔から馴染みのある同級生が作るオーガニック野菜など素晴らしい食材…。
この地の新たな価値に気づきがある毎日です。

これからも自ら生産者様の下に直接出向きながら、皆様にオーベルジュメソンで使っている食材や滋賀県の魅力的なスポット、これまでの僕の経歴などをご紹介していけたらと思います。

オーベルジュメソンで今まで大事にして参りました滋賀県の食材と温かいおもてなしに加え、全国各地の旬の食材をふんだんに使いながらイタリアンの調理法を用いてより美味しい料理をお届けし、一層ご満足して頂けるお店を目指して精進して参ります。

 

・・・

現在、一休.com限定で、全国旅行支援が再開しております。
詳しくは一つ前の投稿をご覧ください。

 

https://www.meson-box.com/archives/1788

<第6回>ながらくご無沙汰をしておりました。

2022.01.19

ながらくご無沙汰をしておりました。

『一緒に学ぶ ワインの愉しさ』を

この度、不定期ながら再開させていただくことになりました。

どうぞよろしくお願いします♪

しばらくはオーストリアのワインについてご紹介させていただくつもりでいます。 

兼ねてより興味がありましたワイナリーを、日本にオーストリアのガブリエル グラスをご紹介された清水 博之さんにお誘いいただき訪ねる機会に恵まれました。

その目的地であるWINZER FAMILIE GRGOR  SCHUPはオーストリアの首都ウィーンより南へ車で約30分、電車で行くと1時間ほどのところにありました。

まずはぶどう畑を案内していただきました。

訪問したのが11月末とあって、葡萄の木はほぼ裸ん坊でしたが、古代2,000年前のローマ時代より存在した広大なぶどう畑について語ってくれた6代目のGregor

彼は瞳をきらきらさせながら案内してくれました。

弱冠26歳の彼は、10年先にこの地にこれからの作り手や若い人たちの為のワインスクールを作りたいのだとか。

今年コロナが落ち着けば、日本にも市場を求めて行く予定だと言っていました。

若いながら次の担い手として、しっかりとしたビジョンを持つ彼に私は感服いたしました♬

日照時間や気温、場所柄に恵まれたこの土地では、シャルドネ、ピノ ノワール、カベルネ ソーヴィニョン、シラー、そしてオーストリア固有品種であるロードギップラー、ゲルバー ムスカテラなどが家族の手を中心として栽培されています。

 

 

貯蔵庫に移動してタンクや樽の管理などを見せていただき、キリッと冷えたRoseccoという弱発泡性のワインを試飲させていただきました。

もう、この子のお持ち帰りは心の中で即決定‼︎ 

このワインはスクリューキャップなのですが、内側に特殊な加工が施されていてギュッと締めると数日は泡がもつようになっているのだとか。

ワインの作られる工程などをドイツ語からわかりやすく通訳してくださるのは、今回お誘いいただいたウィーン在住の清水さんの奥様であるルイーゼさん。

このお二人、大好きです!

そして、皆さんに是非、是非ご紹介したいのがホイリゲなるもの♬

これは、また次回に改めてじっくりご紹介させてくださいね!

それでは皆さま、今年もよろしくお願いします。

私は、明るい春がもうそこまでやって来ているように思えてなりません〜♪

 

2021秋?ウイーン移住への記録 第30回

2021.08.26

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)

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前回のブログから3か月経ちました。

まだ、日本におります。

日本にいるってことは、事態は思うようにいかない状況で動いているっていうことです。

(概略のみ記載します)

 

前回のブログで書いたように、オーストリア政府当局から、

申請書類に追加して「こういう書類を提出してください」という要請を受けて、追加書類を提出。

申請結果は8週間以内、という規定なので、7月中には回答があるだろうと想像していました。

 

回答期限を間近にしたある日、僕の雇用を決定しているウイーンの会社へ、

オーストリアの雇用・労働を担当する部門から、書類が届いていると連絡があります。

 

内容を確認してもらうと、「6月9日に事情を聞くために呼び出したが、なんの返答もなかった。申請者の職業能力(職歴)をゼロと評価したので、申請に必要なポイントに足りない。したがって今回の申請は却下する」。

簡単にいえば、そんなことになります。

 

「?」

 

僕自身、代理人、会社。確認しましたが、だれも呼び出しを受け取っていません。

この結論に対して、「異議申し立て」が認められています。

代理人の方が、数日で「異議申し立て」を準備して、メールと郵送で当局へ。

10週間以内(9月末)に、それに対する審議が行われ、結論がでます。

 

このやり取りの中で、当局の担当者とメールアドレスが、わかりました。

それまでは、直接窓口に行って担当者とドイツ語あるいは英語で、意見表明をするしかないのだと思っていましたが、僕自身と会社側の意見表明がメールで直接できるチャンスができたわけです。

 

日本語で僕なりの意見を表明した文章を作り、ドイツ語訳していただいて、直接当局にメールを今日送りました。

 

以下は、ほぼドイツ語の全文です。

興味がおありでしたら、翻訳してみてください。

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Sehr geehrte Frau Suzanna 〇〇,sehr geehrter Herr Christian 〇〇,geehrte Frau Ingrid 〇〇,

Mein Name ist Hiroyuki 〇〇.
Ich bin der Antragsteller.

1.)
Wissen Sie wie groß die Einwohnerzahl Japans ist?
Sie beträgt ca. 120 Millionen.
 
Was die Einwohnerzahl betrifft ist Deutschland das größte Land Europas mit seinen 82 Millionen.
Die Einwohnerzahl Großbritanniens beträgt 66 Millionen,
Frankreich 65 Millionen, Italien 59 Millionen.
 
Und Österreich hat 8,7 Millionen Einwohner.
Ich möchte hiermit nicht sagen, dass man Länder nach der Größe der Einwohnerzahl beurteilen soll.
 
In einem so dicht besiedelten, von der Einwohnerzahl aus gesehen, großen Land, Japan, existieren über 50.000 Unterkünfte.
Die Unterkunft „Auberge Meson“, die ich seit der Gründung betrieben habe, und sie mit Sorgfalt „wachsen“ ließ, wurde kontinuierlich
in den vergangenen 6 Jahren auf TripAdviser, einer der weltgrößten Touristikwebsite als eine unter den fünfzehn hervorragenden Unterkünfte Japans ausgezeichnet.
https://www.meson-box.com/
(Ich bitte Sie, die Einzelheiten aus dem beigefügten „Work Experience“  zu entnehmen)
 
„Auberge Meson“ ist keine große Unterkunft. Die Mitarbeiterzahl beträgt insgesamt 10 Personen. Ich habe besonders großen Wert auf gute Betreuung unserer Gäste,
Verkauf von Waren, Reinigung, Gewinnung von Kunden aus der ganzen Welt, Markenmarketing und alles was für Unternehmensführung und Betrieb wichtig ist zum Erfolg geführt und die vorher genannte Leistung und Ergebnis hervorgebracht.
Ich habe auch eine Galerie, in der ausländische Gäste die Möglichkeit haben, mit der japanischen Kultur und Handwerkskunst in Berührung zu kommen.
 
In dieser Zeit der weltweiten Ausbreitung der Covid-19 Pandemie hat Auberge Meson ihre Beliebtheit bei den Gästen bewahren können. Die Zimmer sind fast immer ausgebucht.
 
Ich bin davon überzeugt, dass ich aus den genannten Gründen den Erwartungen der Firma REPLICART GmbH, die eine Person mit breitgefächerten Fähigkeiten sucht, entsprochen habe. Daher hat die Firma die Entscheidung getroffen, mich einzustellen. Es zeugt davon, dass sie in Österreich keine Person gefunden hat, die meine Fähigkeiten übersteigt.
Insofern ist es für mich unverständlich, weshalb ich für „Ausbildungsadäquate Berufserfahrung“ mit 0 Punkten beurteilt worden bin.
Auch ist es mir unklar, weshalb man versucht, die wertvolle Beschäftigungsmöglichkeit der Firma REPLICART GmbH, die mir angeboten wurde,zu verhindern.
 
Ich bin 57 Jahre alt.
Ich bin fest entschlossen, mit all meinen Erfahrungen, die ich bislang gesammelt habe, für den Tourismus und die Kultur Österreichs beizutragen.
Ich werde noch lange weiterarbeiten.
Ich werde auch viel verdienen und redlich Steuern zahlen.
Ich habe überhaupt nicht vor, auf Kosten der österreichischen Regierung zu leben.
 
Ich bin davon überzeugt, dass ich für Österreich nutzbringend sein werde.
 
Daher ersuche ich Sie von Herzen, positive Entscheidung für meinen Antrag auf Aufenthaltserlaubnis in Österreich zu fällen.
 
2.)
Ein Grund für den negativen Beschluss nannten Sie den Punkt:
 
„Sie wurden mittels Parteiengehör vom 09.06. 2021 über den Sachverhalt informiert.
Es erfolgte keine Reaktion Ihrerseits. Es war daher spruchgemäß zu entscheiden.“
 
Jedoch erhielten weder ich noch meine Vertreterin noch die Firma REPLICART GmbH diese Information.
 
Wenn Sie für die neue Beurteilung meiner Person Fragen haben, ersuche ich Sie, mir diese zu stellen und an diese E-Mail- Adresse zu schicken. Ich bin bereit, Ihnen meine Antwort sofort zukommen zu lassen.
 
Bitte lassen Sie mich alle unklaren Punkte wissen, damit ich sie bereinigen kann.
 
Da Sie mir keine Bewilligung auf Erteilung der Aufenthaltserlaubnis geben bin ich jetzt noch in Japan. Bitte haben Sie Verständnis dafür, dass es für mich schwer ist, kurzfristig zu einem bestimmten Zeitpunkt in einem Amt in Wien persönlich vorzusprechen.
 
 
Sobald Sie mir die Erlaubnis auf Aufenthalt in Österreich erteilen bin ich bereit, sofort nach Wien zu kommen.
 
Die Situation der Pandemie und die ansteigende Zahl der Infizierten in Japan erschwert uns die Reise ins Ausland. Zurzeit ist es zwar noch erlaubt, aus Japan kommend mit japanischem Reisepass für touristische Zwecke einzureisen, aber in absehbarer Zukunft werden möglicherweise Einreiseeinschränkungen erlassen, sodass nur jene mit gültiger Aufenthaltserlaubnis aus Japan einreisen dürfen.
 
In diesem Sinne ersuche ich Sie um Ihren baldigen positiven Beschluss auf die Erteilung der Aufenthaltserlaubnis.

Mit freundlichen Grüßen

Hiroyuki 〇〇

 

 

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ホスピタリティには心がある

2021.08.16

 

「ホテル・リッツにみるホスピタリティ序論―ホスピタリティとサービスの関連について―」※という短い論文を読みました。

 

そこでは、「サービス」と「ホスピタリティ」の違いについて述べられています。

「サービス」は「サーバント=召使い」と同じ語源を持ち、一方、「ホスピタリティ」は「ホスト=主人」と同じ語源を持つそうです。

 

以下は本文の引用です。

 

”サービスの基本的な意味は、奴隷または召使としてマスターに仕えることであり、ホスピタリティの基本的な意味は、ホストとしてゲストを温かくもてなすことである。 言うまでもなく、温かくもてなすためには、温かいもてなしの心がなければいけない。 すなわち、ホスピタリティは心の状態を前提としているのである。”

 

より良いお宿を目指すために、勉強をさせてもらおうと、最近、少しグレードの高いホテルに泊まりました。そこで私は、「サービスに本質がない」という感想を持ちました。

これは、どれだけ質の高いサービスを提供していても、そこに「心」が存在していなければ、無意味になってしまう場合もあるということなのだと、この論文を読んで改めて感じました。

 

例えば、お客様にパンのお代わりについて、ご希望があればご提供するのがサービスです。

一方で、私たちは、食事の終盤や2回目のお代わりの際、最後のお料理までおいしく召し上がっていただくために、「次のお料理のボリュームを確認いただいてから、お伺いします。」と伝えることがあります。これはホスピタリティの一つなのかもしれないと感じました。

 

お客様の人数が変更になるというのはよくあることです。そのご連絡の中で、「息子が一緒に来られることになって」と伺うと、一緒に来られるご両親の気持ちを考えると私も嬉しくなりますし、「友人に急遽仕事が入って」と伺うと、一緒に来られなかったお客様と同じ気持ちで、私も残念に思います。

 

売り上げの増減を抜きにして、お客様が増えることや減ることに、喜びや悲しみを感じるのは、そこに心があり、私がホストとしてゲストをお迎えする姿勢を持つことができているからではないかと思いました。

 

今のお盆の時期のように、忙しい毎日が続くと、そんな「心」を忘れて、効率を重視してしまいそうになることがあります。しかしながら、「サービスはホスピタリティの中にある」

とこの論文では述べられています。つまり、ホスピタリティのないサービスは本来ありえないのです。

そのことを忘れず、日々お客様をお迎えしたいと思います。

 

 

 

※2001年、土 居 守「ホテル・リッツにみるホスピタリティ序論―ホスピタリティとサービスの関連について―」http://jslrs.jp/journal/pdf/45-1.pdf

2021夏。ウイーン移住への記録 第28回

2021.05.28

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)

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私たちの申請書類がウイーンに届いた翌日だったか、代理人の役の方から、連絡。

「出生証明書が見当たらない」と。

 

実は、オーストリア政府が求めている提出書類の中で、

日本ではそのものズバリがないものがあります。

「出生証明書」と「婚姻証明書」がそれ。

 

日本の公的機関で発行できるものでは、その2つともを、「戸籍謄本」で代替させるのが一般的なようですが、その形式を初めて見るオーストリア人はそれが「出生証明書」であると認識するにはハードルが高いのです。

 

以前の記事にも書きましたが、「戸籍謄本」はそのままオーストリアへ送ったわけではなく、日本の外務省の認証(アポスティーユ)をつけ、それをオーストリア政府公認の翻訳人によるドイツ語への翻訳を経て発行された、とても手間のかかった証明書です。

[

「それが日本では出生証明書です」と説明し、納得してもらいます。

 

あとで聞いたのですが、その頃ウイーンは強いロックダウン期間でしたから、申請窓口はクローズしており、申請書は郵送で窓口に贈られたようです。

ですから、そんな事情は伝わらないまま書類は申請窓口へ。

 

数日後、別のウイーン在住の方(申請書のある項目にサインをしていただいたのですが、ウイーン現地代理を私が務めますという項目だったようです。申請に携わった側はだれもそんなこととは知りませんでした。)のもとへ申請窓口から手紙が届きます。

①出生証明書がない。

②パスポートの表紙のコピーない。

③申請書に一か所本人のサインが足りない。

④過去半年間に海外への渡航歴はあるか?

上記を2週間以内に提出しなさい、という内容だったようです。

 

①に関しては、申請代理人の方のケースと同じです。

戸籍謄本は未婚の家族全員を証明するので、申請者個人を証明するべき書類とズレがあるといえなくもないのですが、

「婚姻証明」と兼任させたいという狙いも譲れません。

「戸籍抄本」を取り直し、同じ手続きをへて、ウイーンへ再び送るのは、できれば勘弁してほしい。

「日本にはこの形式の証明書しかない。日本大使館に確認をとってくれ」と強弁してほしいと依頼します。

 

②は、表紙のスキャンデータを現地へメール。

 

③は、日本でサインした原本をまたウイーンへいつ到着するのかあてもないまま送らないといけないのかと、ゾッとしましたが、申請用紙をプリントアウト、サインしたものをスキャンして、データを現地へメール。プリントアウトしたものを提出すればOKだという判断のようです。

申請者本人はウイーンにいないことは伝わっていたのだと思います。

 

④申請代理人が、ドイツ語で6か月以内に渡航歴はないという「宣誓書」をドイツ語で作成。データを受け取り、プリントアウト→サイン→スキャン→データをメールでウイーンへ。

 

補充の書類がすべてそろったので、昨日ウイーンから申請窓口あてに投函されました。

これでようやく正式審査開始となるのか?

 

着実に前進していますが、すでに6月が目前です。

 

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第27回

2021.05.14

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)

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いやー、まだまだいろんなことが起きます。

 

前回、定住許可のための申請書類一式をウイーンへ発送したところまでを書きました。

発送したのは地元の郵便局から発送したのは、4月24日。

EMSという国際郵便で送ったのですが、公式サイトではオーストリアには3日で到着すると表示されています。(ちなみに送料は2,200円)

昨年末、同じEMSでドイツへ書類を送った時には、約束通り3日で届きました。

ですから送ったのちにもあまり不安を感じることはありませんでした。

 

ところが約1週間後、オーストリアから「まだ届かない」という知らせが入ります。

国内の宅配便のように、サイトでおおよその配送状況がつかめます。

下記の写真は、ウイーンの郵便局まで届いたところまで、表示されている追跡画面です。

上から見ていくと、確かに滋賀県の郵便局で4/24に「引受」。

関西国際空港の郵便局に4/25には「到着」「発送」。

たしかに、順調に日本を出たように見えますが、7日後の5/1に「ウイーンに届かない」という連絡が入ります。

驚いて、そこで初めて追跡を始めます。

4/25には日本を出ているのに、どこへいってしまったのか?

 

郵便局へ問い合わせます。

その電話の窓口では、「現在、ヨーロッパへ向かう航空便が極端に減便しているため、関空で順番待ちをしている状況だと思います」という回答です。状況をオーストリアへも伝えながら、もう少し様子を見てみようと。3日か5日か、様子をみましたが、まだ届きません。

 

行方不明になっている可能性もないことはないでしょうし、それならばもう一度書類を揃えなおして、もう一度送りなおす必要があるかもと、思い始めます。

 

もう一度揃えなおすにも、かなりエネルギーと時間がかかりそうです。

最も、難関そうなのは、ドイツ語・英語それぞれの合格証明です。

いずれも基本的には再発行を認めていません。

事情を伝えて、仮に再発行の手続きに入っても、証明書の発行はドイツ、イギリスの本国で行われている可能性があります。私たちが味わっている国際郵便の状況から、手元に届くのはいつのことになるのか、想像もできません。

 

再度郵便局に問い合わせをしますが、「コロナで……」などという一般論はいいので、正確に行方をつかんでほしいと依頼します。

折り返し連絡があり、今も関空にあると。ただすでに航空会社のコンテナの中で順番待ちの状況。郵便局側としては、コントロールもできないという回答です。関空にあるとはいえ、行方不明ではなさそうです。一安心ですが、それ以降も毎日何回も追跡画面を確認します。が、関空から動きはありません。

 

そこから数日、「届いた」という連絡もありませんから、また郵便局へ連絡。今度は「成田にある」と。大阪よりは、東京のほうが便が多いという判断なのでしょう。しかし、追跡画面には「関空」のままです。

 

状況が変わらないので、また2日後追跡を依頼。

「いまフランクフルトにあります!」5/11にはオーストリアの隣国であるドイツに。追跡画面にあるように、翌日ようやく5/12にウイーンへ到着です。

そして、今日宛先の人物に届きました。

 

国際郵便や貨物の状況を甘く見ていたのでしょうが、「3日後に届けます」という公約がありながら、届いたのは20日後。

とにかく届いてほっとしました。

 

ウイーンでの申請は半月遅れることになりますが、ようやく来週には申請窓口へ提出の予定です。

 

さて、次はどんな壁がやってくるのでしょう?

 

 

←第1回へ   →第28回へ

2021夏。ウイーン移住への記録 第26回

2021.04.25

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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2021.04.24に、ようやく私たちの申請書類がほぼそろい、書類一式がウイーンへ旅立ちました。

ウイーンで、代理人役をつとめていただける人の元に届き、5月初旬にオーストリア当局へ提出される予定です。

 

最も厚い壁だった、私たちの仕事をどう見つけるか?についての情報が届いたのが昨年の4月。その情報をどう実現させ、定住許可申請に至れるのか、を必死に手繰りよせてきた1年でした。

 

今回送付したのは、
申請書
戸籍謄本
パスポート コピー
無犯罪証明書 原本(アポスティーユ付)
写真
Application letter
Work Experience
英語A2 合格証明書
ドイツ語A1 合格証明書
預金残高証明(英語)
大学卒業証明(英語)

 

妻用は、
申請書
戸籍謄本コピー
パスポートコピー
ドイツ語A1合格証明
預金残高証明(英語)
無犯罪証明書(アポスティーユ付)
写真

 

これ以外に、戸籍謄本(アポスティーユ付)をオーストリアの政府公認の翻訳人による翻訳は、直接ウイーンの申請代理人役を務めていただく方へ直送。ウイーンでの住居と健康保険に関わる証明は現地で手配済み。

 

あとは、申請窓口でどんな対応が出てくるのかで、すぐに対応できるように心構えをしておくということになります。

 

一つ一つの書類には、それぞれ長~い物語があります。

それを全部書くことが、このブログの使命ではありますが、

(それなりには書いてきました)

書いてないところは今後の気分に委ねます。

 

最近、直面した出来事を一つ。

ウイーン在住のオーストリア政府公認の翻訳者の方に、アポスティーユ付の戸籍謄本の翻訳を依頼しました。

素早い対応をいただける方で、原本をスキャンしたものをLINEでお送りするだけで、作業自体は進行いただけます。依頼内容や見積もり、翻訳原本の送付など、すべてがLINE、しかもすべて日本語でOKです。

依頼した仕事は完了します。

報酬の送金の段になって、私たちが日本の「マイナンバーカード」を保有しているかどうか、が決定的な役割を果たしているのが判明します。

日本から外国の口座へ送金するには、様々な方法があります。

ネットだけで済む方法もあり、中には当日の円/ユーロのレートよりも、送金手数料を含んでも送金額が低く済んでしまうサイトも存在します。(どうしてそんなサイトが存在するのかわかりませんが)

日本の銀行系のサイトは、レートが悪い上に、送金手数料が数千円かかります。

 

今回の翻訳の報酬は、約130ユーロ。現在は1ユーロ/130円程度ですから、16,000~17,000円程度の送金です。

とあるサイトで送金手続きを進めていくと、最後に送金元の数種類の本人確認書類の写真を送付することを求められます。

残念ながら、マイナンバーカードをつくってません。

これ以上すすめません。

これまではほとんど関心がありませんでしたが、すぐに発行手続き。

(スマホで完結できます)

サイトには、発行まで約1か月かかります、と。

翻訳者には、事情をつたえて送金を待ってもらいます。

そういえば、ウイーンで銀行口座をつくる際も、日本のマイナンバーカードの提示が求められるという、ブログを見たことがあります。

これがないと、国内よりも国外に対して、信用が得られないのかもしれません。

 

 

さて、今回の申請にあたって自分で作成した書類の一つに、「職務経歴書」(Work Experience)があります。日本では、外資系企業などへ応募する際に作成を求められるものです。

単に、自分が働いてきた会社の羅列ではなく、この会社ではこのポジションで、こういう仕事をして、こういう成果をあげ、こういう能力を身につけてきた。だから、あなたの会社の募集にぴったりなんだ。というアピールの場です。

 

これをなぜ政府に提出するのか?国内の雇用の機会を、国外の人間に奪われることを予防するためだといわれています。

 

つまり、申請者側からすれば、自分のような経歴・能力を持った人間は、オーストリアにはいないんだということをアピールする必要があるわけです。(企業の駐在員は別枠)

かなりハードルは高い。

 

すべての提出書類は、英語またはドイツ語での作成・翻訳が求められますから、英語で作成します。

日本でも外資系企業に機会が出てきているため、「職務経歴書 英語」などのワードで検索すると、アドバイスをくれるサイトがみつかります。

記載すべき項目は、

1 Personal Information(連絡先など個人の情報)
2 Sumally(要約)
3 Objectives(希望職種)
4 Work Experience(職務経歴)
5 Education(学歴)
6 Qualifications / Skills(資格/能力)

などと書かれれています。

決まったフォーマットがないとはいえ、参考になるものがないと書きだしづらいため、ちゃんと例文付きのフォーマットを準備してくれているサイトをみつけます。

今回は例文付きフォーマットを、自分の情報に書き換えていく方法で、書類をつくります。

A4枚で簡潔に、というアドバイスにしたがって、これだけのものです。

(これは最終的に提出したものではありません)

自分のやってきたことを、アピール用に変換しながら、日本語で文章をつくり、翻訳サイトで英語に変換。変換された英文が訴えたい内容になっていなければ、日本語を作り直す。そして、サポートチームに内容や、英語のレベルをチェックしてもらい、Letterを仕上げます。

 

さて、これらの書類は5月の初めに、オーストリア政府に提出されます。

その反応、結果はいかに。

 

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第25回

2021.04.08

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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ドイツ語検定の合格で、「定住許可申請の資格を得た」と書きましたが、

正確にはもう一つありました。

そのために滋賀県警本部を訪れます。

日本でいうと「無犯罪証明書」と呼ばれるもの。

こういう証明書の存在を知りませんでした。

これがないと必要最低限の申請書類がそろいません。

 

日本で犯罪歴があってもパスポートによる入国は認められるのでしょう。

しかし、それよりも長期の定住は認めないということなのだと思います。

 

申請書類を整え、滋賀県警本部へ。

案内されたのは、「鑑識課」。

指紋をとる必要からなのでしょうと、担当の女性はおっしゃっていました。

パスポートで本人確認を終えてから、指紋をとる機械ですべての指紋を採取されます。

(この指紋は照合後、すべて破棄されますという説明がありました)

この指紋を警察庁で照合されて、過去の犯罪歴と照合が行われるようです。

 

「無犯罪」という証明が、どんなレベルでおこなわれるのかわかりません。

これまで、妻も含め交通違反の経験はあり、

警察と無関係に生きてこられたわけではありません。

なんとなく、どきどきしながら結果を待つしかありません。

 

4日ほど後、「証明書ができました」という電話。

すぐに警察本部へ。

 

この証明書、用途は定住許可関連での用途がほとんどなので、

5か国語で証明されるもの。

日本語、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語で併記され、

厳封されて発行されます。

(封を開けたら、それで証明は無効になるので内容はわかりません)

定住許可の申請書類は、すべてドイツ語か英語に翻訳せよ、

という条件がありますが、この書類は翻訳の必要がなさそうです。

(でも、何が「証明」されているのかはわかりません)

 

受け取ってそのまま、郵便局へ。

私たちの申請書・戸籍謄本とともに、日本の外務省へ送ります。

 

定住申請の添付書類のためには、

自治体や警察が発行した書類でも、

さらに外務省の認証・アポスティーユというものが必要らしいのです。

 

さて、同時に進めているのは、ぼくの「大学卒業証明書」の申請。

大学のサイトを見ると、言語が日本語か英語かのチョイスができ、

英語をチョイスをして申請。

 

もう一つは、「婚姻証明書」。

これは、妻の申請に必要な書類なので、妻に情報収集を任せます。

申請書・戸籍謄本・パスポートを添付書類にして、メールを送信。

あて先は、在日オーストリア大使館。

「どうして僕たちの婚姻証明を、オーストリア政府が証明するのか?」と疑問を持っていましたが、

「これは、在オーストリア日本大使館の仕事です」と返信。(笑)

「どうして、僕たちの婚姻証明を在オーストリア日本大使館がするのか?」は、

不明のまま在オーストリア日本大使館へ再送信。

 

どうなることやら。

 

まだまだ、書類揃えは続きます。

 

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2021夏。ウイーン移住への記録 第24回

2021.04.01

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて19年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が2021年夏、
ウイーンへ移住し、新たな仕事をはじめます。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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今回から、タイトルの一部「春」を「夏」へ変更しました。

定住許可申請に必要なドイツ語の受験が、1か月伸ばさざるを得なかったこと。

当初、パスポート(滞在6か月まで)で、ウイーンへ入り、現地で申請というようなつもりでいたのですが、現在は申請の審査の期間が延びていて、「許可」が下りるまで日本にいた方がいいという、

ウイーン現地からのアドバイスもあって、当初計画より日本にいる期間を延ばした方がいいという判断からです。

 

さて、前回はドイツ語A1を受験したことまでを書きました。

2週間後の18時頃に、サイト上で結果発表。

この画像が結果です。

見にくいですが、「聞く」「読む」「書く」「話す」各25点満点で、合計100点中合格ラインは60点。

結果は81点で合格です。

「読む」「書く」は、それぞれ22~23点で、ほぼ満点。

「話す」も、会場を微笑みに包んだ想定外の言葉を発したぼくに(前回のブログ参照)、

約20点をつけてくれました。

英語のケンブリッジ検定の際にもそうしましたが、「話す」で試験官に稚拙ながら「自己アピール」を盛り込みました。

このドイツ語の試験では、自己紹介のなかで「どこに住んでいるのか」を話す必要があります。

「私は大津市に住んでいます」で正解ですが、そこにわざわざ「近い将来、ウイーンに住むつもりです」と付け加えました。「この検定は、ぼくの人生がかかっているんです」と伝えたかった。

それで、採点が左右されるのかどうかは定かではありません。

でも少しだけでも配慮してくれたらありがたい、という願いがそうさせるわけです。

「溺れる者は藁をもつかむ」です。

 

妻も、70点台で合格。

これで、夫婦そろって申請資格を得たことになります。

 

とにかく、この2か月はそれなりに仕事をしつつ、ドイツ語づけの日々でした。

ようやく申請書類の準備に入ります。

 

実は、まだ膨大な作業が必要です。

準備の最初に訪れたのは、滋賀県警本部。

 

なぜなのか?

この話の続きはまた次回で。

 

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