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2021春。ウイーン移住への記録 第14回

2020.05.25

オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、
ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
────────────────────────────────

ウイーンの法律事務所へは、大使館からの紹介であること、
簡単な自己紹介、なんのために移住するか、
事業の内容とおおよその規模、設立すべき会社の種類や移住手続きへのアドバイスがほしいことなどについて、
日本語でメールをしました。
 
 
翌日、ほぼ完ぺきな日本語で、
「内容を確認するので、数日時間がほしい」という旨のメールが届いたのち、
その2日後に再度メールが届きます。
 
そのメールには、
英語と日本語が併記された「契約書」と
「資金洗浄防止法の質問票」が添付されていました。
概要のメールをしただけで、
契約書が送られてきたわけです。
 
契約にはあまり慣れていない、私たちにとっては多少違和感を感じますが、
ある意味、当然のことかもしれません。
契約内容そのものについてのやり取りは無料だが、
依頼内容にかかわる一切については、
今後はすべて契約後の対応になるんだ、ということなのだと受け止めました。
 
 
さて、その契約書の内容です。
私たちの依頼内容になるであろう仕事の内容が、
4つのフェーズに区分されており、その「工数」によって下限と上限の額が設定されています。
それ以外に、メールや面談での相談が
上限なしに無料になる「お得な」顧問契約はいかがでしょう?
なんていうことも月額料金が設定されています。
(移住は1年後ですから、12か月契約です)
 
仕事内容の吟味はさておき、
とりあえず、上限額を合計してみます。
「えっ!5万ユーロ?」
日本円で約600万円です。
これだけの契約ながら、「結果には責任を持たない」と明記してあります。
これ以外に、税理士との契約も必要になります。
ウイーンでの会社の設立+移住というケースで、
ネット上でようやく見つけた糸口をたどった先が、600万円の契約。
これはヤバいと、背筋が寒くなってきました。
 
 
すこし落ち着いてから、
この事態を、ウイーンとドイツのサポート役のご夫妻にメールしました。
「これはまっとうな契約なのか」と。
 
ドイツのご夫妻からは、
「大使館ルートであること、日本語対応ができるということで、ふっかけてきてるんじゃないか。
現オーナーに別ルートを聞いてみる」。
 
ウイーン在住のご夫妻からは、「数年前にオーストリアで極右政権が誕生してから、
移住のための窓口対応が一変している。
今の状況で、お金で結果が買えるなら、安いものかもしれない」と。
このご夫妻はウイーンの移住窓口で、
通訳として立ち会っておられるケースを、
まさに今抱えている実感からのご発言なのです。
 
5万ユーロ以上の出費を覚悟の上で、突入せざるを得ないのか?
暗雲が一気に立ち込めてきました。
 
 
 
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2021春。ウイーン移住への記録 第13回

2020.05.18

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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オーストリア経済振興会社(ABA)からもらった返信の中で、
「あれっと」思ったのは、
「アートギャラリーを経営するにはビジネスライセンスが必要」という個所です。
 
当時は思い至らなかったのですが、
もしかすると美術品を扱うギャラリーだと思われていたのかもしれません。
日本の「古物商許可証」というものが必要ですよ、ということです。
 
しかし、現オーナーが経営しているのは
「ミュージアムショップ」の路面店という感じのものです。
いわゆる「小売店」に、ビジネスライセンスが必要だとは思えません。
 
「念のため、現オーナーに確認します」ということとします。
 
もう一つは、「法務面や税務面などでの質問にお答えするには、 現在ビジネスオーナーに関する詳細情報が必要です。 特に次のような項目の情報が不足しています:
 • 現在のGallery Store社の法的形態
 • 2021年4月以降の所有者(買収・賃貸・経営)
税務とビザに関する課題も法的形態によって異なるので、 お差支えなければ、 現在のオーナーさんに連絡させていただきたいと思います。 恐れ入りますが、 お名前、住所、電話番号、Emailといった連絡先を いただければ幸いです。」
という個所です。
 
2021年以降の所有者は、私たちのことを指すのですが、
新会社を設立するのがいいのか、
あるいは私たちが日本で所有する会社の「ウイーン支店」を設立するのがいいのか、
そこが私たちからの問いなのに、「そこをどうするつもりなのか?」と聞かれているわけです。
 
その上に、現オーナーの会社の形態は?とは。
私たちの会社の形態が、現オーナーの会社の形態に左右されるとは思えません。
いずれにしても、現オーナーと直接のやりとりがないと、ことは進みそうにありませんから、直接会話していただくことになります。
 
 
数日後、現オーナーが連絡を取ってくれたと、連絡がありました。
 
なにか大きく前進するかもと期待していましたが、
「ウイーンの日本語で対応可能な法律事務所を紹介された」と。
「えっ?」
 
 
「オーストリア経済振興会社ABAは、外国投資家への情報提供、
マンツーマンのお世話、オーダーメードのサービスを基に、
オーストリアへの進出、拡張投資計画について、お役に立ちます」と、
ABAのサイトには表記されています。
 
確かに、家族経営規模の小さな会社設立の話ですから、
本腰が入らないのは理解します。
なるほど、あとの実務は法律事務所とやってくれということなのか、
と半ば勝手に理解します。
 
 
その後、こちらからはABAと接触していませんが、
先方からは半月後に、「まだ、現オーナーから連絡がないが、どうなっている?」
という趣旨のメールが届きました。
 
そういうことなら、一度ウイーンの法律事務所へメールしてみるかと、
完全日本語でメールをしてみることになります。
 
 
 
 

 

2021春。ウイーン移住への記録 第12回

2020.05.13

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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オーストリア大使館商務部の〇〇〇〇(注・実名省略)さんとの1往復のメールの翌日、

日本語での会話が成り立つのかという、一抹の不安を抱えながら大使館へ電話してみます。

最初に電話に出られたのは、おそらく日本人、女性の方でした。

「〇〇さん、いらっしゃいますか?」

「お待ちください」

しばらくすると

「オーストリア大使館商務部の〇〇〇〇(以下、Dさん)です」と、

多少外国なまりはあるものの、まったく会話に不安を感じさせない、

そんなレベルの日本語でした。

もしかすると、名前のまえに「お世話になります」なんていう、

日本のビジネス会話の定型句がついていたかもしれません。(笑)

 

この電話の用件は、Dさん側が確認したいことを聞き取る、ということですが、

まずは、簡単なDさんの自己紹介です。

商務部には何人かのスタッフがいるが、今回のケースは自分が担当するということ。

実際には、オーストリアへの企業進出を支援する「オーストリア経済振興会社(ABA)」(第10回参照)がサポートを行なうが、

日本の常駐スタッフをDさんが兼任しているのだということ。

この振興会社は、オーストリア政府が100%出資していて、

サポート費用は無料だということ、などが説明されます。

 

その後は、私たちの日本での事業、ウイーンで考えている事業のイメージと時期、

ウイーンでの現経営者の事業内容や、こちらが手続きを進めていく上での確認したい内容など、

メールでお知らせしてある内容プラスアルファの確認を会話したということになります。

 

Dさんは、「今、確認させていただいた内容を、ウイーンの本部へ報告して、指示を待ちますので、

しばらくお時間をいただきます」と。20分程度の会話だったと思います。

 

私たちのケースは、特に難しそうな案件ではなさそうですが、

Dさんはあくまで日本での「窓口」というポジションなんでしょう。

その後の、先方の組織内部の工程を想像すると、

今回の会話についての返信は、早くとも1週間はかかるんだろうなーとイメージしていました。

今のところ、急ぐ必要はありませんから、時間がかかるのは織り込み済みです。

 

ところがその2日後、Dさんから返信が届きます。

とっかかりの時もそうでしたが、

予想以上に対応が早いのには驚きます。

そのメールは、こんなものでした。

────────────────────────────────

 

オーベルジュメソン
渡辺 様

お世話になっております。
貴社の海外出店に関しオーストリアへの進出をお考えいただき、
ありがとうございます。

本件について、ABA本部からの回答をご報告させていただきます。

基本的には、アートギャラリーを経営するにはビジネスライセンスが
必要なので、先ずこの商用ライセンスを得ることが
重要なポイントです。
もし、取得が難しそうな場合、そういったライセンスを
持っている方を採用し、そのまま営業することも可能です。

また、現代の状況を確かめるため、
以下いくつかお伺いさせていただきます。

法務面や税務面などでの質問にお答えするには、
現在ビジネスオーナーに関する詳細情報が必要です。

特に次のような項目の情報が不足しています:

• 現在のGallery Store社の法的形態
• 2021年4月以降の所有者(買収・賃貸・経営)

税務とビザに関する課題も法的形態によって異なるので、
お差支えなければ、
現在のオーナーさんに連絡させていただきたいと思います。
恐れ入りますが、
お名前、住所、電話番号、Emailといった連絡先を
いただければ幸いです。

ご質問等ございましたら、
ご遠慮なくお問い合わせください。
 
引き続きよろしくお願いいたします。

オーストリア大使館商務部
商務官
〇〇〇〇

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一読して、いくつかの疑問が湧きます。

すばやい対応はありがたいのですが、

不理解や正確さに欠けている部分を含んでいるんじゃないか、ということです。

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第11回

2020.05.01

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ウイーンでの会社設立をどうするか、という難題とともに、

同時進行しているのが、オーベルジュメソンの「事業承継」問題です。

「事業承継」とは、「会社の経営について経営者が後継者に引き継ぐこと。事業承継には帝王学など、経営者としての資質を育てる【経営承継】と、相続税・贈与税をいかに低くおさえ、かつ株式を次期経営者に引き継がせるという【資産承継】とに分かれる。」(Weblio辞書)

 

跡継ぎがいない中小企業の閉鎖が相次ぎ、

社会問題化する中で、税制・補助金などの支援で、

この問題を解決できないかという試みが始まっています。

 

オーベルジュメソンでは、【経営承継】はすでにスタートしています。

当初、この課題は長女へ様々なことを伝えながら、体制も整え、

私たちの移住直前に新代表者へ移行すればいいと考えていましたが、

移住予定の1年前(4月の某日)に、突如思いついて「今日から、ふうかが経営者です」と、

本人も含め内外に宣言することで【経営承継】を始めます。

 

「立場やポジションが、人をつくる」

これまで、ぼくのまわりで成長した人を見ていての実感があったからです。

これは、多少買いかぶれば、自分たち夫婦自身の経験でもあるといえるかもしれません。

 

今後、メソンの質を向上させることや、事業の幅を広げるテーマはいくつもありますから、

経営者としての最初の大きな一つとして、

そのうちの一つのテーマ実現のための補助金の申請を担当させることにしました。

申請に必要な「作文」は、オーベルジュメソンを

今後も社会にとって存在させる意義のあることを

見通すことができできないと成り立ちません。

 

しばらくすると、長女が「別のテーマで別の補助金も申請する」と言い出しました。

その補助金は、事業承継者が申請し、事業承継者自身の新規事業や経営革新の取り組みための補助金です。

補助限度額は、僕が課題にだした補助金の10倍ほどです。

 

滋賀県には、補助金もふくめ事業承継問題の公的な相談窓口が2か所あります。

それぞれからの公認会計士と中小企業診断士のお二方と、

お話しさせていただく機会がありました。

 

 

実は、私たちのウイーンでの会社設立と【資産承継】は、

密接にリンクしています。

しかし、なにをどこから【資産承継】に取り組めばいいのか。

その糸口が見え始めたとともに、

メソンを現在経営している会社の代表者を長女に移行させ、

(当社は、長女に別会社を設立させようと思っていました)

ウイーンでは、日本の会社の支店形式ではなく、

新会社を設立するということが正解なのだと、はっきりようやく見えてきました。

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第10回

2020.04.27

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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最近、僕たちの友人などから、オーナー交代と、

僕たち移住への動きへのお知らせに関して、

驚きとともに、宿泊施設を新たに開業することへの

「大変だねー」という反応が届くようになりました。

 

誤解です!

ウイーンで開業のメドが立っているのは、

美術館の「ミュージアムショップ」のような小売りのお店です。

ウイーン在住のオーストリア人が、現在も営業を続けられているショップを、

(僕たちが移住する前日まで経営を続けられているかもしれません)

在庫も含め「居抜き」で買い取り、ノウハウを引き継いでいただきながら、

スタートするというのが真実です。

決して「オーベルジュメソン」の2号店を開業するわけではありません。

 

ただ、少し広めのアパートメントを借りて、

一室でB&Bをやったり、

ウイーンへ留学に来る若い人たちのための下宿を提供できたら、

おもしろいかぁとは思っていますが、メインの仕事にはしません。

 

 

さて、ウイーンでの会社設立などに関して、

相談に乗ってくれそうな在日オーストリア大使館商務部へメールを送ってみました。

もちろん、日本語です。(電話が嫌いな僕にとっては、連絡方法はメール一択です)

参考までに、以下はその全文です。

───

はじめて、ご連絡させていただきます。
この相談内容にふさわしい先が、
別にあるようでしたらお知らせいただければ幸いです。

現在は、滋賀県で下記のような事業をしております。
https://www.meson-box.com/

2021年の年明けから春頃に、
オーストリア人が営む、ウイーンのギャラリーショップを引き継ぎ、
日本人である私たちが営むことがほぼ決まっております。

その際に、現在わたしどもが経営している会社の支店をウイーンで設置するのか、
ウイーンで新たに会社を設立するのか、
どちらがいいのかサポートいただければと思っております。

私たちの会社は、家族経営規模のものですので、
経営者夫婦がウイーンに移住して、
ギャラリーの経営をします。

手続きの簡便さ、定住のためのビザの取得のしやすさ、
ウイーンで経営をスタートさせてからの税務上の優遇措置などに、
差があるようでしたら、教えていただければと思います。

ご判断いただく上で、
ご不明な点がございましたら、
お知らせください。

よろしくお願いいたします。

───

 
 
日ごろ外国の大使館とのお付き合いがありませんから、
日本語のメールで通じるんだろうかとか、
大企業でなく、個人事業規模の開業の相談に乗ってくれるんだろうか、とか。
勤勉さが不足するお国柄の「お役所仕事」だったら、
完全に無視かもなぁとか。
不安は山盛りですが、ほかに相談相手のメドもありません。
 
あまり過剰な期待をせずに、待っていると、
返信が返ってきました。
 
 
───
オーベルジュメソン
渡辺 様、

ご連絡ありがとうございます。オーストリア大使館商務部の〇〇(注・実名省略)と申します。初めて連絡させていただきます。
  この度、貴社の海外出店に関しオーストリアへの進出をお考えいただき、ありがとうございます。

本件は海外出店などオーストリアへの企業進出を支援する「オーストリア経済振興会社」(https://investinaustria.at/ja/) との相談になるのですが、明日午前に電話での打ち合わせが可能でしょうか。

その為、貴社概要、ビジネスプランに関し、英語の資料がございましたら、ぜひ送っていただきたくお願いいたします。
  但し、まだ情報収集の段階であるとか、資料準備が間に合わないということであれば、打ち合わせの際に、先ずは詳しくお話をお聞かせください。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

オーストリア大使館商務部
商務官
〇(注・実名省略)

───

 

「おー!返事があった!」

「オーストリア大使館やるやん」なのです。

 

このメールの文章、ご本人が書いたのか、

日本人の秘書のような人が書いたのか。

ちゃんとした日本語です。

 

こんなことでも、オーストリアという国への信頼度が、

急速に高まったりするわけです。(笑)

 

そして、翌日大使館に電話することになります。

(電話での打ち合わせって、どういうことやねんと思いながら)

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第9回

2020.04.21

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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約1年後にウイーン移住が決まって、

それまでにやるべきことを6つに整理しました。

前回のブログを参照ください)

同時並行的に、しかし優先順位をつけながら、取り組む必要があります。

 

今後のことを整理した途端、妻は自宅の2階に上がっていき、

段ボール箱を持って降りてきて、僕のところに持ってきました。

そのとき、僕は薪ストーブを焚いています。

ボール箱の中身は、これまで僕が買ってきた本。

つまり「これを一緒に燃やしたら?」。

 

次の日、彼女は引き出しをもって、リビングにやってきて、

いろんなものをごみ袋に入れだしました。

「その引き出しはどこから持ってきた?」と聞くと、「洗面所から」。

 

妻は、何かを決めると即座に行動に移します。

時として彼女の行動力には、驚かされますが、

僕の考えていることと、とてつもなくズレていることがあります。

僕は、

 ②オーストリアで会社をつくること。

これに必要な情報集めをすることが、なにより大事だろうと思っていました。

どんな手続きを踏んでいけば、会社をつくることができるか、

またどんな形態の会社をつくればいいのか、

あるいは、メソンの経営母体である日本にある会社のウイーン支店をつくればいいのか。

その情報集めをすることが、優先だと思っていたのです。

 

ところが、彼女は段ボール箱を持って降りてきて、古本を燃やすという行動にでた。

つまり、なによりも

 ⑥出発前に、自宅にある自分たちの荷物をゼロに近い状態にすること。

が、最優先だったわけです。

 

このズレに大きさには、笑うしかありません。

裏返せば、オーベルジュメソンは、こうやって作られてきたともいえます。(笑)

 

 

さて、本題に戻ります。

オーストリアへの移住に必要なビザを取得するうえで、

「どうして移住するのか」によって取得するビザの種類が違うことがわかります。

(6か月までの短期滞在は不要です)

──────────────

6ヶ月以上の長期移住の際には、目的に寄らず滞在許可(Aufenthaltsbewilligung)を取得する必要がありますが、
オーストリアの滞在許可は、
・雇用
・自営
・研究者
・学生
・家族(現地の方と結婚した場合など)
など細かく種類が分かれており、必要な提出書類も滞在許可の種類によって異なります。
これらの滞在許可の申請は、原則として入国後に現地の役所(各州政府の移民課)で行いますが、
書類の提出から発行までに3ヶ月程度かかる場合があり、
また提出書類の中に住民票など現地で手に入れる必要のあるものも含まれるため、
無査証の滞在の許されている6ヶ月を超えない為にも、入国前から提出書類の準備を進め、
入国後できる限り速やかに手続きを進めることをおすすめします。

「せかいじゅうライフ」より)

─────────────────────────

私たちに該当するのは「自営」でしょう。

「自営」でビザを取得する前に、

会社を設立しておく必要があるわけです。

ビザについては、国内の移住サポート会社の情報や、

移住経験者やオーストリア在住の方のガイドのようなブログは出てきます。

そのほとんどは、会社員、研究者、学生、音楽家などによるもので、

「自営」、つまりオーストリアでの「会社設立→ビザ取得」については、

情報がほとんどありません。

 

が、相談窓口がみつかります。

それが、在日オーストリア大使館商務部というところでした。

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第8回

2020.04.20

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ドイツのご夫妻から舞い込んだ、

ギャラリーショップのオーナー(Mさん)は、

このご夫妻が経営する美術関係の会社のビジネスパートナー。

ご夫妻との関係ができる前から、

このショップは、Mさんご夫妻が自分の子どものように大切に育ててきたお店の一つですが、

奥さんの体調がすぐれないため、

その一つを引き継いでくれる人を探し始めたようなのです。

 

そんな話が、私たちに舞い込みました。

住所と何枚かのお店の写真、

テナントの賃料と在庫や什器などを買い取るおおまかな費用が、

メールで伝えられました。

 

グーグルマップでその住所を入力すると、

私たちが出口として使ったベルベデーレ宮殿のゲートの真正面。

買取費用はなんとか賄えそうだし、

賃料はそのお店を軌道に乗せれば何とかなる。

あとは、自分たちが住むアパートメントの費用と生活費が出せれば、

なんとか生きていけるかも‥‥。

それに「子どものように育ててきた」という感じは、

とてもよく理解できます。

私たち夫婦にとっては、まさに奇跡。

迷う余地はゼロです。

「やります!」と即返信しました。

 

しばらくすると、

オーナーさんからおおよその契約内容や、

引き渡しの時期についてのプランが送られてきました。

メソンでの私たちの仕事も残っているので、

若干の調整をしていただき、決まりました。

引き渡しは、2021年4月。

 

昨年の年末あたりから、

メソンのスタッフ、取引先、地域の人々、友人たちに

「2年以内に、ウイーンに移住します」と伝えてきました。

でも正直なところ、この時点は「移住の意思」はあっても、「根拠」はゼロ。

自分たちでも、明確な日程を言い出すことはできませんでした。

 

私たちのウイーン移住プランは、

自分たちの努力というよりは、

私たちが出会った周りの人の縁が知らないところでどんどん繋がっていき、

自力のがんばりで見つけ出すよりも、

はるかにいい形で決まってしまったことになります。

「なんてことだ‥‥‥。」

移住期限の決定権は、現オーナーにあったとは。

 

この話を本当に実現しようとすると、

ここから自力で地道な作業が必要になります。

①オーベルジュメソンが、今後もちゃんと経営が成り立つようにすること。

②オーストリアで会社をつくること。

③私たちにふさわしい滞在ビザを取得すること。

④住むところを決めること。

⑤ドイツ語、英語の学習

⑥出発前に、自宅にある自分たちの荷物をゼロに近い状態にすること。

 (ウイーンには手ぶらで行こうと思っています)

 

このための準備を、すぐ始めることになります。

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第7回

2020.04.17

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ヨーロッパといわれるエリアには50か国、

7億5000万人が住んでいるといわれます。

こんなヨーロッパ内で、ゼロから「自分たちが住むのに、もっともふさわしいところはどこか?」

と探し出す行為や、問いに、ほとんど意味がないのはお分かりだと思います。

 

日本以外で、私たちが訪れたことのある世界の都市は、10数か所程度でしょう。

到底、「世界を知っている」とは言えないレベルです。

 

ウイーンは歴史都市。広範な面として、建築や街並みが保存されています。

本当に、街のホールで毎日、演奏会・バレエ・オペラ・演劇が開催されていて、

立ち見なら、4ユーロで見られるケースもあります。

巨大な規模の美術館が点在し、

トラム・地下鉄・バスは発達し、移動に困ることはありません。

戦後は、永世中立国を宣言。

旧社会主義国で感じる「くすぶった感じ」はありませんし、

資本主義大国にみられる「生き馬の目を抜く」かのようなギラついた雰囲気もなく、

穏やかで落ち着きのある街といえます。

「世界で最も住みやすい都市ランキング」などで、

いつも上位にランクインするようなバランスのとれた都市ではあるようです。

 

かつて、社会主義圏と資本主義圏の狭間に存在した国の、

生き残り戦略が功を奏したといえるのかもしれません。

 

いろいろ客観的に理由を挙げることはできるでしょうが、

私たちに決定的だったのは、

これまでも触れましたが、

そこに、サポートをしていただける人がいるから。

ほぼこれに尽きるでしょう。

 

ウイーン移住はほぼ決まり。

仕事をどうするかのメドが立ちませんでしたが、

2度目のウイーン行きからの帰国後、

思わぬ話がドイツ在住のご夫妻から舞い込みます。

 

前述しましたが、娘たちを連れての2度目のウイーンで、

ベルベデーレ宮殿(上宮)へクリムトの「接吻」を見にいきました。

「接吻」の展示室でしばらく動かなくなった次女が、

「この部屋にテントを張って住みたい」と言い出します。

この宮殿の周辺は住宅街で、アパートメントが並んでいるのは見ていましたので、

「この近くに住めば、毎日来れるやん」という会話をしながら、

下宮側の出入口から外へ。

近くのレストランで食事をして、トラムにのって街の中心部へ移動しました。

 

帰国後、ドイツのご夫妻から舞い込んだのは、

その下宮出入口の正面にある、ギャラリーショップのオーナーが、

引き継ぐ人を探しているので、

やってみませんか?という話だったのです。

 

記憶には残っていませんが、

あのとき私たちの視線にはそのお店が入っていたでしょう。

そんな場所で、私たちに仕事の話がやってきたのです。

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第6回

2020.04.17

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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話を進行させる前に、

どうして「今」、「ウイーン」へ移住しようと考えたのか。

頭の中を整理しながら、説明してみます。

 

ここ数年、オーベルジュメソンはまだまだたくさんの「伸びしろ」があるのに、

僕たち夫婦が経営を続けていると、

これ以上伸びない、という印象を強く持っていました。

だから、早く後継者を見つけ引き継がないとと、

焦っていたといえます。

そんなときに、長女が「やってみる」と承継を決めます。

 

当面、後継の体制も含め、引き継ぐための準備に入っていますが、

50代後半の僕たち夫婦は、その後どう生きていくか、

決めなければなりません。

お店も自宅も、娘に譲って出ていこうというつもりなのです。

働かなくても食べていけるような蓄えがあるわけではないので、

収入源をどうするか、暮らしていく場所をどうするかを、

決める必要に迫られています。

 

今は滋賀県の山麓の、のどかな田舎に住んでいます。

「年を取ったら、都会に住むかなぁ」と、漠然とは思っていました。

国内外どこでもよかったのですが、

国内でいえば、東京、大阪、京都など、知っている都会は

どこも僕たちには候補になりません。

次の仕事のあてもいまのところメドがありません。

さて、どうしたものかという段階だったわけです。

 

そんな時期のヨーロッパ行きでした。

1度目のウイーン行きは、ブタペストまでは、飛行機で入りましたが、

ブタペスト→プラハ→ウイーンの国境をこえる移動は、列車でした。

2度目のウイーン行きは、ウイーンへと、その後のウイーン→パリは飛行機でしたが、

フランス内のパリ→ストラスブール→ディジョン→パリの都市間移動は、列車でした。

大陸にいれば、パニック障害で薬を飲まないと飛行機に乗れないという「苦行」がなくとも、

国境を軽々超えることができることを、初めて実感します。

車移動という手段もあるわけで、

ヨーロッパ・アジアは陸続き。アフリカ大陸までも、

飛行機に乗らなくても移動できることに、気づいたのです。

おおげさに言えば、日本という島国で生まれ育った発想は、

世界標準ではなかったのです。

 

長い時間、鎖につながれていた象は、鎖の縛りがなくなっても、

鎖につながれているかのような行動しかできないといわれます。

その象と自分が重なります。

 

この年齢になるまで、たくさんの車を乗り替えてきました。

そのほとんどは輸入車(新車価格の1/10程度になった、古い車ばかり)ですが、車好きというよりは、

いろんな国のいろんなメーカー、いろんな車種に乗ってみたいという、

好奇心がそうさせてきました。

車って、ある時代の、

その国のテクノロジーとデザインの先端を集約した製品です。

そうしたものを、できるだけたくさん、体験したいのです。

 

大陸に住めば、単に車だけではなく、国・都市・町・村、人、食、美など、

苦行を味わうことなく、さまざまな体験の幅がほぼ無限に広がりはじめます。

 

ウイーンに住みたいという前に、

まず大陸に住むことの無限な可能性にときめきだしたのです。

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第5回

2020.04.16

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ドイツに帰国されたご夫妻は、

しばらくして「世界展開している同じコミュニティ」の

ヨーロッパ地域のミーティングに参加されたようです。

 

ぼくたち夫婦のことを気にかけていただいていたご夫妻は、

そこに参加されていたウイーン在住であろう、とある女性に声をかけます。

「ウイーンに移住したいという滋賀の渡辺さんという‥‥。宿泊施設がやってみたいと‥‥

その女性は「その渡辺さんって、まさよさんじゃありませんか?」

 

そうです。滋賀の渡辺さんの、まさよさんっていうのは、わたしの妻です。

おそらくそんなやりとりが行われたようです。

 

なんと、ウイーン在住だろうというその女性は、

ぼくたちがウイーンで「トラベロコ」を通じて、お会いしたLさん。

ぼくたちのウイーン移住サポーター、第1号の方です。

 

すぐに、妻のスマホにお二組からLINEが届きます。

「こんな人と出会ってしまった!」。

 

「コミュニティ」をベースにした、信頼関係はとても強いものがあります。

それはぼくにも理解できます。

 

そんな出来事があってから、私たちは今年の冬、2度目のウイーンに出発します。

自分たちの本気度と、

これから親がどんなところに住もうと思っているかを見せるために、

娘2人も連れていきました。

 

 

この絵、クリムトの「接吻」。

ウイーンが代表する画家です。

ベルベデーレ宮殿にある美術館の一室にあります。

この部屋に次女が向かうと、しばらく動かなくなりました。

 

僕らは待っていられないので、どんどん先へ進んでいきます。

ずいぶん経ってから、次女は「私はあの部屋にテントを張って住みたい」。

おそらく実現不可能なので、「この近くに住んだら、毎日見に来れるやん」。

 

実は、このやりとりが私たちの移住を決定づけるとは、

予想もしていませんでした。

 

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