2021春。ウイーン移住への記録 第7回
2020.04.17
オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、
ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。
ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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ヨーロッパといわれるエリアには50か国、
7億5000万人が住んでいるといわれます。
こんなヨーロッパ内で、ゼロから「自分たちが住むのに、もっともふさわしいところはどこか?」
と探し出す行為や、問いに、ほとんど意味がないのはお分かりだと思います。
日本以外で、私たちが訪れたことのある世界の都市は、10数か所程度でしょう。
到底、「世界を知っている」とは言えないレベルです。
ウイーンは歴史都市。広範な面として、建築や街並みが保存されています。
本当に、街のホールで毎日、演奏会・バレエ・オペラ・演劇が開催されていて、
立ち見なら、4ユーロで見られるケースもあります。
巨大な規模の美術館が点在し、
トラム・地下鉄・バスは発達し、移動に困ることはありません。
戦後は、永世中立国を宣言。
旧社会主義国で感じる「くすぶった感じ」はありませんし、
資本主義大国にみられる「生き馬の目を抜く」かのようなギラついた雰囲気もなく、
穏やかで落ち着きのある街といえます。
「世界で最も住みやすい都市ランキング」などで、
いつも上位にランクインするようなバランスのとれた都市ではあるようです。
かつて、社会主義圏と資本主義圏の狭間に存在した国の、
生き残り戦略が功を奏したといえるのかもしれません。
いろいろ客観的に理由を挙げることはできるでしょうが、
私たちに決定的だったのは、
これまでも触れましたが、
そこに、サポートをしていただける人がいるから。
ほぼこれに尽きるでしょう。
ウイーン移住はほぼ決まり。
仕事をどうするかのメドが立ちませんでしたが、
2度目のウイーン行きからの帰国後、
思わぬ話がドイツ在住のご夫妻から舞い込みます。
前述しましたが、娘たちを連れての2度目のウイーンで、
ベルベデーレ宮殿(上宮)へクリムトの「接吻」を見にいきました。
「接吻」の展示室でしばらく動かなくなった次女が、
「この部屋にテントを張って住みたい」と言い出します。
この宮殿の周辺は住宅街で、アパートメントが並んでいるのは見ていましたので、
「この近くに住めば、毎日来れるやん」という会話をしながら、
下宮側の出入口から外へ。
近くのレストランで食事をして、トラムにのって街の中心部へ移動しました。
帰国後、ドイツのご夫妻から舞い込んだのは、
その下宮出入口の正面にある、ギャラリーショップのオーナーが、
引き継ぐ人を探しているので、
やってみませんか?という話だったのです。
記憶には残っていませんが、
あのとき私たちの視線にはそのお店が入っていたでしょう。
そんな場所で、私たちに仕事の話がやってきたのです。