2021春。ウイーン移住への記録 第16回
2020.06.08
オーベルジュメソンの経営を、
まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。
そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、
ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。
この連載は、移住までの顛末を記録していきます。
「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、
なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。
ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。
その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。
(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。
妻の観点は直接お聞きください・笑)
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人類の共同体は、国民国家の集合である。
政治的主権は、最終的には国民国家に帰属しており、それよりも大きな組織(例えば国連)も、またそれよりも小さな共同体(たとえば自治体)も、国民国家の主権を超える権限を持たない。……
政治的主権は、最終的には国民国家に帰属しており、それよりも大きな組織(例えば国連)も、またそれよりも小さな共同体(たとえば自治体)も、国民国家の主権を超える権限を持たない。……
従って、地球社会の全体を貫いている原理は、国民国家間の競争の論理である。
もちろん、国民国家は絶えず闘っているわけではなく、多くの協力的な関係が結ばれてきたが、そのような協力も、それぞれの国益に合致する限りでしか成り立たない。……
国際的な基本枠組みが、「国民国家間の競争」である限り、個人が倫理の点でいくら成熟しても、絶対に重要な社会問題は解決できない。……
国民国家の観点からは、最も高潔な行為とは、自国民のために命をも懸ける覚悟でなされることだ。
しかし、その行為は、国家間で見れば、野蛮さむき出しの闘争として表れる。……
200年以上も前に、カントが書いてきたことが、今このときほど当てはまるときなはい。
カントによれば、思考の自由とは、理性を公的に使用することだ。
普通私たちが「公的」と見なすこと、例えば公務員が自国のためにあれこれ考えることは、カントの考えでは、理性の私的使用である。
それは国家の利己的利害に縛られているからだ。
理性の公的使用とは、世界市民として考えることである。
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いきなり、この文章はなんだ?と思われたかもしれない。
「新型コロナウイルス後の社会」についての議論はいろいろあるが、
ある新聞に掲載された日本の学者の論考の一部だ。
実は、これを読んで私たちの移住について、
「あぁ、そういうことだったんだ」と、
抱えている問題を深く気づかされたことがある。
つまり、「地球社会の全体を貫いている原理は、国民国家間の競争の論理」だということだ。
私たちの移住への発想はこうだ。
①ウイーンへ旅行
↓
②「移住できたらいいねー」と言っていたら、
↓
③「こんな仕事をやってみないか?」という話が舞い込み、
↓
④「やったー!」と、準備を始める。
てな具合だ。
ところが、移住の許可を出す政府側の論理は違う。
人道的な移住を除けば、
「国民国家間の競争」に有用な人材のみ、
受け入れる検討をしようということなのだ。
住みたいところに住む。
そのための稼ぎも自分たちでなんとかする。
この考え方しかもたない自分たちを、
少なくとも、オーストリアという国は、
受け入れてくれる可能性が低そうだ。
そのことがようやくわかってきたということだ。
これは、単にオーストリアだけではなく、
少なくとも世界の「先進国」では、
同じような傾向をもつらしい。
大きな企業の現地駐在員への定住許可とは違い、
個人レベルの起業+定住許可というケースの場合は、
「これまでこういう実績をもった人間が、
ウイーンでこういうプランの事業を始めようとしている。
どうです?オーストリアにとってこんなメリットがありますよね?
定住許可を出さないと、もったいないと思いませんか?」
これで、「国民国家間の競争の論理」に合致するってわけだ。
移住への準備を始めてから、数か月。
ようやく「世界の常識」のほんの一部を理解できた。
前回のブログで登場したすめみやさんとのメールでのやりとりは、
1ヶ月ほどになろうとしている。
この内容は次回から触れるが、
この間、ずーと微妙なズレがあるような感じがしていた。
なにがそう思わせていたのかわからなかったが、
「国民国家間の競争の論理」を前提にしているかどうか、
このことに拠っていたのだと気づかされた。
それまで、移住に大切なのは、
ぬかりのない、手続きのための準備だと思ってきた。
また、申請の許可がなかなかうまく進まないケースを見聞きしていると、
「なんで、そんな意地悪するんだろ」とか、
「窓口で担当者の恣意的な対応は理解できない」などと、
短絡的にとらえていた。
しかし、移住の可能性を大きくするのは、
私たちのケースでは、
オーストリアの発展に寄与できるような、
自分たちの「事業プラン」だったのだ。
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