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オーナーを交代しました。

2020.04.18

こんにちは、ふうかです。

 

突然ですが、この度、私はオーナーになりました。

 

このブログを読んでおられる方は

2021春。ウィーン移住への記録」を

読んでいただいている方も多いと思いますが、

その中に出てくる「長女」が私です。

 

重複するので簡単に説明すると、

オーナーであった父と母が

ウィーンへ移住することになったので

もともと予定されていた私への交代を

両親が日本にいる間にしてしまおう、という経緯です。

 

 

このブログを使って私が思っていることや

感じていることをお伝えし、

少しでも私のこと、メソンのことを

知ってもらうきっかけになればと思います。

 

 

私自身が一番変わったと思うことは、

すべてが自分事になったということです。

 

去年の春に大学を卒業し、約1年間働いてきた中で、

「数年後にはオーナーになる」ということは頭の片隅にありながらも

どこか他人事だったなということを

最近、初めて気が付きました。

 

例えば、何かを決めるとき、

父と母が話して二人の意見が一致していれば、

深く考えず、「それでいいか」と思うことがほとんどでした。

 

ところが、「今日からオーナーになります。」

と言われた時から、

メソンの周りの物事に対して考え、意見を持つようになった、

と自分では思っています。

(本当は最終決定までしないといけないところですが、

今のところは家族で相談して決めています。)

 

最近再放送している「下町ロケット」というドラマ

(宇宙科学開発機構の研究員だった佃航平が、死んだ父の経営していた中小企業「佃製作所」の社長となり、社員たちと共に奮闘する姿を描く。by Wikipedia)

を見ていると、同じ小さな会社のトップに立つ人間としてなのか、

いつのまにか主人公を応援してしまっている私がいます。笑

 

立場が変わると、メソンの周りどころか

ドラマの中まで自分事になるのだなと驚いています。

 

それはさておき、

これから様々なことに対して、議論を重ねていく中で、

今まで両親がメソンでのことに対して、

どのように考え、向き合ってきたかを知り、

「決める力」を養っていきたいと思います。

 

 

2021春。ウイーン移住への記録 第7回

2020.04.17

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ヨーロッパといわれるエリアには50か国、

7億5000万人が住んでいるといわれます。

こんなヨーロッパ内で、ゼロから「自分たちが住むのに、もっともふさわしいところはどこか?」

と探し出す行為や、問いに、ほとんど意味がないのはお分かりだと思います。

 

日本以外で、私たちが訪れたことのある世界の都市は、10数か所程度でしょう。

到底、「世界を知っている」とは言えないレベルです。

 

ウイーンは歴史都市。広範な面として、建築や街並みが保存されています。

本当に、街のホールで毎日、演奏会・バレエ・オペラ・演劇が開催されていて、

立ち見なら、4ユーロで見られるケースもあります。

巨大な規模の美術館が点在し、

トラム・地下鉄・バスは発達し、移動に困ることはありません。

戦後は、永世中立国を宣言。

旧社会主義国で感じる「くすぶった感じ」はありませんし、

資本主義大国にみられる「生き馬の目を抜く」かのようなギラついた雰囲気もなく、

穏やかで落ち着きのある街といえます。

「世界で最も住みやすい都市ランキング」などで、

いつも上位にランクインするようなバランスのとれた都市ではあるようです。

 

かつて、社会主義圏と資本主義圏の狭間に存在した国の、

生き残り戦略が功を奏したといえるのかもしれません。

 

いろいろ客観的に理由を挙げることはできるでしょうが、

私たちに決定的だったのは、

これまでも触れましたが、

そこに、サポートをしていただける人がいるから。

ほぼこれに尽きるでしょう。

 

ウイーン移住はほぼ決まり。

仕事をどうするかのメドが立ちませんでしたが、

2度目のウイーン行きからの帰国後、

思わぬ話がドイツ在住のご夫妻から舞い込みます。

 

前述しましたが、娘たちを連れての2度目のウイーンで、

ベルベデーレ宮殿(上宮)へクリムトの「接吻」を見にいきました。

「接吻」の展示室でしばらく動かなくなった次女が、

「この部屋にテントを張って住みたい」と言い出します。

この宮殿の周辺は住宅街で、アパートメントが並んでいるのは見ていましたので、

「この近くに住めば、毎日来れるやん」という会話をしながら、

下宮側の出入口から外へ。

近くのレストランで食事をして、トラムにのって街の中心部へ移動しました。

 

帰国後、ドイツのご夫妻から舞い込んだのは、

その下宮出入口の正面にある、ギャラリーショップのオーナーが、

引き継ぐ人を探しているので、

やってみませんか?という話だったのです。

 

記憶には残っていませんが、

あのとき私たちの視線にはそのお店が入っていたでしょう。

そんな場所で、私たちに仕事の話がやってきたのです。

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第6回

2020.04.17

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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話を進行させる前に、

どうして「今」、「ウイーン」へ移住しようと考えたのか。

頭の中を整理しながら、説明してみます。

 

ここ数年、オーベルジュメソンはまだまだたくさんの「伸びしろ」があるのに、

僕たち夫婦が経営を続けていると、

これ以上伸びない、という印象を強く持っていました。

だから、早く後継者を見つけ引き継がないとと、

焦っていたといえます。

そんなときに、長女が「やってみる」と承継を決めます。

 

当面、後継の体制も含め、引き継ぐための準備に入っていますが、

50代後半の僕たち夫婦は、その後どう生きていくか、

決めなければなりません。

お店も自宅も、娘に譲って出ていこうというつもりなのです。

働かなくても食べていけるような蓄えがあるわけではないので、

収入源をどうするか、暮らしていく場所をどうするかを、

決める必要に迫られています。

 

今は滋賀県の山麓の、のどかな田舎に住んでいます。

「年を取ったら、都会に住むかなぁ」と、漠然とは思っていました。

国内外どこでもよかったのですが、

国内でいえば、東京、大阪、京都など、知っている都会は

どこも僕たちには候補になりません。

次の仕事のあてもいまのところメドがありません。

さて、どうしたものかという段階だったわけです。

 

そんな時期のヨーロッパ行きでした。

1度目のウイーン行きは、ブタペストまでは、飛行機で入りましたが、

ブタペスト→プラハ→ウイーンの国境をこえる移動は、列車でした。

2度目のウイーン行きは、ウイーンへと、その後のウイーン→パリは飛行機でしたが、

フランス内のパリ→ストラスブール→ディジョン→パリの都市間移動は、列車でした。

大陸にいれば、パニック障害で薬を飲まないと飛行機に乗れないという「苦行」がなくとも、

国境を軽々超えることができることを、初めて実感します。

車移動という手段もあるわけで、

ヨーロッパ・アジアは陸続き。アフリカ大陸までも、

飛行機に乗らなくても移動できることに、気づいたのです。

おおげさに言えば、日本という島国で生まれ育った発想は、

世界標準ではなかったのです。

 

長い時間、鎖につながれていた象は、鎖の縛りがなくなっても、

鎖につながれているかのような行動しかできないといわれます。

その象と自分が重なります。

 

この年齢になるまで、たくさんの車を乗り替えてきました。

そのほとんどは輸入車(新車価格の1/10程度になった、古い車ばかり)ですが、車好きというよりは、

いろんな国のいろんなメーカー、いろんな車種に乗ってみたいという、

好奇心がそうさせてきました。

車って、ある時代の、

その国のテクノロジーとデザインの先端を集約した製品です。

そうしたものを、できるだけたくさん、体験したいのです。

 

大陸に住めば、単に車だけではなく、国・都市・町・村、人、食、美など、

苦行を味わうことなく、さまざまな体験の幅がほぼ無限に広がりはじめます。

 

ウイーンに住みたいという前に、

まず大陸に住むことの無限な可能性にときめきだしたのです。

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第5回

2020.04.16

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ドイツに帰国されたご夫妻は、

しばらくして「世界展開している同じコミュニティ」の

ヨーロッパ地域のミーティングに参加されたようです。

 

ぼくたち夫婦のことを気にかけていただいていたご夫妻は、

そこに参加されていたウイーン在住であろう、とある女性に声をかけます。

「ウイーンに移住したいという滋賀の渡辺さんという‥‥。宿泊施設がやってみたいと‥‥

その女性は「その渡辺さんって、まさよさんじゃありませんか?」

 

そうです。滋賀の渡辺さんの、まさよさんっていうのは、わたしの妻です。

おそらくそんなやりとりが行われたようです。

 

なんと、ウイーン在住だろうというその女性は、

ぼくたちがウイーンで「トラベロコ」を通じて、お会いしたLさん。

ぼくたちのウイーン移住サポーター、第1号の方です。

 

すぐに、妻のスマホにお二組からLINEが届きます。

「こんな人と出会ってしまった!」。

 

「コミュニティ」をベースにした、信頼関係はとても強いものがあります。

それはぼくにも理解できます。

 

そんな出来事があってから、私たちは今年の冬、2度目のウイーンに出発します。

自分たちの本気度と、

これから親がどんなところに住もうと思っているかを見せるために、

娘2人も連れていきました。

 

 

この絵、クリムトの「接吻」。

ウイーンが代表する画家です。

ベルベデーレ宮殿にある美術館の一室にあります。

この部屋に次女が向かうと、しばらく動かなくなりました。

 

僕らは待っていられないので、どんどん先へ進んでいきます。

ずいぶん経ってから、次女は「私はあの部屋にテントを張って住みたい」。

おそらく実現不可能なので、「この近くに住んだら、毎日見に来れるやん」。

 

実は、このやりとりが私たちの移住を決定づけるとは、

予想もしていませんでした。

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第4回

2020.04.16

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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2度目のウイーン行きの1か月ほど前。

一組のご夫婦が、メソンを訪ねてくだいました。

京都出身、ドイツ在住。この時期に帰国をされていたようです。

年齢は僕たちと同世代でしょうか。

 

ここから、不思議な「縁」が次々につながっていきます。

 

京都に住む妻の妹の、

「姉がウイーンに移住するって言いだしたんですけど、

参考になる話をしてあげてもらえないか」という依頼に、

応えていただいたんだと思います。

(このご夫妻とこちらの姉妹は、

世界展開している同じコミュニティに属しているという信頼関係がベースに存在しています)

 

オーストリアとドイツは隣国。

ともにドイツ語圏という共通点は確かにあります。

 

「わたしたちは、ドイツで美術関係の事業を立ち上げてるんですが、

ビジネスパートナーは、ウイーン在住のオーストリア人。

宿泊業にこだわりがなければ、ウイーンで仕事をご紹介できるかもしれない」。

会社の立ち上げや、ビザの取得など、さまざまなお話をうかがいましたが、

ぼくたちにとっての核心はここだったのかもしれません。

 

ウイーンで宿泊業をスタートさせるには、

資金が足りないという事実に直面しています。

不動産情報をみると、ウイーンから距離のある地方だったら、

手が届きそうな「居抜き」の物件は存在しているが、

ウイーンに住めなくなるうえ、集客にも問題がありそう。

経験のない事業を成功に導く確信もありません。

 

移住後の仕事は、宿泊業しかイメージにありませんでしたが、

「どんな仕事をするか」より「ウイーンに住み続けられること」のほうが、

ぼくたちにとって大切なのではないか、と思案しだします。

 

このご夫妻が、ドイツに帰国されてから、

ぼくたちが知らないところで、勝手に「縁」がつながっていきます。

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第3回

2020.04.15

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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オーベルジュメソンを立ち上げてから、

ずっと思い続けてきたことがあります。

「経営者が僕たちじゃなかったら、

ここはもっといい宿泊施設になっていたかもしれない」と。

経営者としては、3流を自認しています。

 

2代の前オーナーから引き継いだためか、

メソンは、ぼくたちの「所有物」というよりは、「預かり物」。

次へ引き渡すまでの「管理人」感覚をずっともってきました。

 

それでも18年間、精一杯心地よい時間と場を提供できるよう、

誠実に努力してきましたが、

「もうこれ以上は僕たちの手に余る」という思いも募っていました。

ですから、数年前から後継者を探しはじめます。

すると、長女(当時は大学生でしたが)が手を上げました。

卒業後少しずつ、経営移行の準備を始めています。

 

次は、僕たちの「次」をどうするか。

そんな時の、ブダペスト・プラハ・ウイーン行きだったわけです。

 

ウイーンでトラベロコを通じて出会ったのは、僕たちより少し年長の女性(Lさん)でした。

ホリイゲ(ウイーンの居酒屋さん)で、ビールやワインを飲みながら、

「ヨーロッパで、ぼくたちにできることがある気がしてるんです」

なんて話も聞いてもらっていました。

 

Lさんは、「移住されるんでしたら、お手伝いしますよ」と。

後日、Lさんのご主人とも食事の機会がありました。

オーストリアの超高級ワインやワイングラスの輸出や、

日本の「しめじ」の栽培をオーストリアで始めるなど、

全貌がよくわかりませんが、現地で事業を立ち上げている方。

このご夫妻との出会いで、僕たちは本気モードに入りかけて、帰国します。

 

この時の僕たちの新たな仕事のイメージは、

ウイーンで小さな宿泊施設を始めることでした。

帰国してから、観光情報でないウイーンやオーストリアについて、調べ始めます。

 

国の面積は、北海道程度。ウイーン人口は札幌市と同じぐらい。

とても小さな国ですが、一人当たりGDPは日本よりはるかに上。

豊かな国なのです。

ご紹介いただいた不動産サイトを見ていても、

小さいとはいえ宿泊施設ができるほどの規模の価格は、

僕たちが準備できる一桁上の金額です。

 

「どうしたのものか?」

なんとか打開策はないものかと、

今年の1月末をメドに、再度ウイーンを訪れるプランを練りだします。

 

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第2回

2020.04.15

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

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ブダペスト・プラハ・ウイーン

この3都市は、

ハンガリー・チェコ・オーストリアと3つの国に分かれます。

すべて欧州連合(EU)に加盟していますが、

ユーロが使えるのは、オーストリアのみ。

他の2国は、通貨は自国の通貨です。

言語もバラバラ。

ウイーン以外は、カタコト英語ではほとんど通じません。

 

また、旧社会主義国だったところでは、

「わたしの仕事はお客さんのためにある」なんていう感覚は皆無。

楽しそうに働いている姿は、ほとんど見当たりません。

 

ホテル・飲食店以外のトイレは、基本有料。

ウォシュレットは皆無。

飲食店での水は有料、などなど。

些細なことに聞こえるかもしれませんが、

そこにいるための「ベース」の部分が、

日本での感覚と少しずつズレています。

 

元来、コミュニケーションが苦手な僕にとっては、

飛行機に乗って移動する、という大きな苦行を乗り越えたのに、

日々苦行が続いていきます。

 

そんな中で、「トラベロコ」を通じた、日本人と出会います。

「砂漠でオアシスに出会うってこのことか」

本当に僕にはそう思えたのです。

 

同時に、「ここでぼくたちにできることがあるかもしれない」と、

思い始めます。

 

オーベルジュメソンは、外国からの予約をあまり受け入れないようにしています。

つまり、日本人にとっての「心地よさ」を18年間追及してきたつもりです。

この経験を生かせば、ぼくたちにもヨーロッパで、オアシスが作れるかもしれないと。

 

おまけに、ここで出会った日本人の方々が、

ユニークで、僕たちの移住をサポートいただけそうな可能性を秘めていました。

 

 

 

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2021春。ウイーン移住への記録 第1回

2020.04.14

オーベルジュメソンの経営を、

まったくの素人から夫婦で始めて18年が経ちます。

そんな僕たち夫婦が1年後の2021年春、

ウイーンへ移住し、開業することが決まりました。

この連載は、移住までの顛末を記録していきます。

「今の暮らしを変えたい!」なんていう希望をお持ちの方々に、

なにかのお役に立てればとリアルタイムに書いていきます。

 

ちなみに移住までは、夫婦ともメソンで仕事をしております。

その後のオーベルジュメソンの経営は、わたしたちの長女が引き継ぎます。

(このブログはあくまで夫の観点から書いていきます。

妻の観点は直接お聞きください・笑)

 

この移住計画は、2019年の1月から2月にかけての旅行が発端となります。

 

オーベルジュメソンでは、その2年ほど前から、

閑散期になってしまうこの時期の2週間ほどを休業し、

仕事のレベルアップのためのリフレッシュ期間として、

海外へ出ることを推奨してきました。(自己負担でですが)

 

私たち夫婦は、ニューヨーク、地中海クルーズとでかけ、

この年は、ブダペスト・プラハ・ウイーンへ向かうことになります。

 

僕自身は、閉所・高所恐怖症。

パニック障害があるので、飛行機に乗るのは勘弁してほしい立場です。

ですからこのシーズンを前に、妻は「女性の一人旅」的な本を買い込み、研究を始めます。

その結果が、ブダペスト・プラハ・ウイーン

 

「長女と行ってきたらー」と、のらりくらり、はぐらしていましたが、

長女が大学の卒業旅行で、「バルト三国に行く!」と言い出し、

僕がお供することが決定的になります。

 

僕たちが旅に出るとき、あらかじめ観光情報を十分に入手し、

スケジュールを決めて出発するということをあまりしません。

 

それで、いいのかどうか。

後悔することもありましたから、

今回は「トラベロコ」(現・ロコタビ)を利用して、

現地に住む日本人の方とセッティングして、

いっしょにディナーを食べながら、

観光情報や暮らし方をお聞きすることにしました。

 

「旅は人」

なかば自省を込めながら、そのことを実感することとなります。

 

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お気楽!歌舞伎座の楽しみ方。

2019.08.03

年に何度か、仕事で東京へいくことがある。

 

仕事ですべての時間を費やすわけではないので、

それ以外の時間をどう楽しむかは大切なテーマだ。

 

最近、欠かさないのは歌舞伎座へ出向くこと。

ただ、その日の公演をすべて見ようとすると、3時間を超えてしまう。

「仕事の合間に」というわけにはなかなかいかない。

 

「歌舞伎美人」という歌舞伎の公式サイトをよく見ると、

https://www.kabuki-bito.jp/

「一幕見席」という当日自由席がある。

https://www.shochiku.co.jp/play/theater/kabukiza/makumi/

当日の演目のうち、一幕だけを1000円~2000円程度で見られるのだ。

チケットの販売は、当日だけ。

それぞれの演目の開園時間の少し前から販売が開始される。

椅子席約90名、立見約60名、合わせて約150名の定員。

 

玉三郎のような人気の演者が登場するような演目もあったが、

これまで座れなかったことはない。

 

イヤホンガイドを借りれば、初めての演目でも、

舞台で何が行われているのかは理解できる。

 

これからもちょくちょく通うことになりそうなので、

「入門書」として買ったのがこれ。

「歌舞伎の解剖図鑑」 

絵と文 辻 和子(株式会社エクスナレッジ)

本業はイラストレーターだが、

子どもの頃からの歌舞伎好きが高じる。

歌舞伎の味方、歌舞伎の家、演目など、

この一冊でかなり「わかった気」になれる。

gallery サラ 「書師 秀蓮展 ”炎の如く「道心」に恋して”」へ

2019.07.21

 
こんにちは、ふうかです。
 
6月もgallery サラさんの展示にお邪魔させて頂きました。もう次の展示が始まってしまってはいますが、作家の秀蓮さんにお話を伺うことも出来ましたので、ご紹介させて頂きます。
 
 

書師秀蓮展「炎の如く「道心」に恋して」

「道心の中に衣食あり 衣食の中に道心なし 最澄
自分の仕事を天命として打ちこむ心が道心。
その道心があってこそ 真に満たされた人生。
キラキラヒカル道心をもつひとに恋をして─ 秀蓮」
 
Galleryサラ公式サイトより
 
 

日程

今回の展示は、6月8日(土)から30日(日)まででした。
2日目の9日(日)には、題字である、「道心」の書のパフォーマンスと作品解説をされ、多くの方が足を運ばれたそうです。
 
 

書師 秀蓮氏について

福岡県のお生まれです。
7歳より山下墨水氏に、16歳より横田無縫氏に師事されて以降は、独学で書道を学ばれました。
このお二人と出会えたことが書道家としての人生においてとても幸運だった」と秀蓮さんは仰っていました。
その後、滋賀の大学に進学された事をきっかけに滋賀県に移住されたそうです。
一度は、小学校の教員になり、いろいろな教科と「書」を結びつけて授業をされていたそうですが、書道家になる事を決意され、教員をおやめになりました。
現在は滋賀県の草津市に工房をお持ちです。
 
 
 

文字について

秀蓮さんの文字は、作品ごとに表情が全く違います。
それは、「書くときの「思い」が違うからだ」とおっしゃいます。
 
“書が他の工芸品と比較して違うのは、そういう作者の内面が全て出てしまうところです。
私が書に私自身をさらけ出しているからか、見てくださった方も日頃悩んでいることや心配ごとなど自分の本音をぽろっと私にお話してくださいます。”
 
“文字は、ただ思い浮かんだもの、というよりは、自分が救われた言葉や誰かが必要としてるような言葉を見つけて、それを書いています”
 
とお話ししてくださいました。
 

7月の展示

7月の展示は6日(土)から28日(日)まで「うつしおみ 奥島圭二 硝子展」です。
 
 

galleryサラ年間スケジュール

 

7月 奥島圭二(ガラス)
8月 吉田友幸(絵画)
9月 大道正男(陶)+小林敬生(版画)
10月 矢島操(陶)
11月 山田晶(陶)+新宮州三(漆)
12月 坂田ルツ子(フェルト)
 
 

gallery サラ

〒520-0503 滋賀県大津市北比良1043−40
077-532-9020
定休日 火・水
11:00 ~ 17:00
 
メソンから徒歩5分、JR湖西線 比良駅、近江舞子駅からギャラリーまでの送迎もあります。